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ジョン・ボイド (軍人) : ウィキペディア日本語版 | ジョン・ボイド (軍人)
ジョン・ボイド()は、アメリカ合衆国の戦闘機操縦士・航空戦術家・軍事著作家。 == 初期の軍歴 == 1945年、ボイドは19歳でアメリカ陸軍に入隊し、航空軍に配属された。水泳教官として連合国軍占領下の日本への駐留を経験したのち、1947年に除隊し、復員兵援護法を活用してアイオワ大学に入学した。同大では予備役将校訓練課程(ROTC)に所属していたほか、また水泳部にも入部し、妻となるメアリ・ブルースとも出会っている。 経済学の学士号を取得したのち、1951年には、ROTCにしたがってアメリカ空軍に再入隊した。当時、アメリカ軍は朝鮮戦争を戦っており、入隊間も無いボイドも朝鮮に派遣された。彼はここでF-86の操縦士として、22回の実戦出撃を経験した。この経験は、ボイドが後に創案した各種の理論の土台となった。 終戦後には、アメリカ空軍戦闘機兵器学校(FWS)において、F-100の教官を務めた。まもなくボイドは、FWSにおいてもっとも影響力のある空中戦戦術家と目されるようになった。学生機との模擬空戦において、「不利な位置から開始して、40秒以内に位置を逆転させる(後方の攻撃位置を占位する)」との賭けをたびたび行ない、6年間/3000時間におよぶ戦闘訓練で無敗を誇った。このことから、戦闘機教官としてのボイドには、40秒ボイドという渾名が進呈された。1958年、彼はその戦技をまとめて、空軍初のジェット戦闘機用空戦マニュアルとして『航空攻撃研究』(Aerial Attack Study )を上梓した〔。同書においては、初めて、空中戦における機動と対抗機動の連続について理論化したものであり、のちのE-M理論の原型が既に含まれていた〔。
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